清里高原ななとはっつぁん(^^ ;
FROM 2000、7、21
家族 紹介
ボス (ハスキーMIX) ♂
なな&はち (黒柴) ♂
きゅう&てん (黒・白柴)♀♀
すこ(スコティッシュ・H)
ーーーメモリーーー
ムク (日本犬MIX) ♂
ジュリ (S・Husuky) ♀
ガイア (Greyhound)
セーラ(Greyhound)
ジョイ(Greyhound)
サブ(北海道犬MIX)
アリス(ハスキー×柴犬)
グレイ(チンチラシルバー) 
ミケブー (三毛猫) 
パール (Greyhound)
    ・・・メモリー サブ・・・  (1987〜2002  
長年のリーダー・・・ご苦労様でした


1987年生まれの頑固な爺さんでした。       
15歳
をむかえる直前に亡くなりました。

父犬: シェパード (?)
母犬: 北海道犬

     (喫茶・ミルクさんの愛犬クロ)


 
グレイハウンドオープン前からシェフと暮らしていた最長老犬で、奥様と出会う前からの長いつきあいでした。
5歳の時に虚勢しましたが、
強いテリトリー意識は最後まで健在でした。
チワワサイズの子でも犬舎に近づくと、火がついたように威嚇していました。
人間に対しても警戒心が強く、リーダーをふたりと持たない損?な子でした。
  さすがにMIXは体質的に丈夫です。

   
年に一度のワクチン接種とフィラリヤ
  
予防薬だけで、
15年間病気知らずでした
  
   晩年は体力的には、4番手になりましたが・・・
   本人は気持ちの上では最後まで、
リーダーでした
  
   長年のリーダー、ご苦労様でした!        
 
                     
         おいらの出番だ!         
  
   みんな、さがってろ!  
     犬舎に近づくワンちゃんがいるぞ!

     この性格は一生なおりませんでした。


     後ろのセーラは知らん顔・・・ 

  懐かしいアルバムから・・・昭和61年〜       
さあ!出発です!

九州・佐賀県から
メロンを東京の市場まで運びます

  生後30日 兄弟6頭の中で一番やんちゃ!

サブは生後4ヶ月の時から1歳半まで、私が運転する大型トラックの助手席に乗り、
全国を一緒に旅していました。

そのせいか、私が車で出かける時は最後まで必死に吠えていました。

忘れていないのです。 三つ子の魂百までも ・・・でした。
 サブ・7ヶ月です!   シェフぎりぎり20代? 怪我してエリマキサブの図
サ  ブ  2  歳  と  山  歩  き
最近、白内障による視力の低下と足腰の衰えが進行しています。
人間の年齢ですと、100歳に近いはずです。

少しでも長生きしてほしいと願います。(2000年5月)
サブにとっては14回目の冬を迎えています。
視力と聴力もほとんど効かなくなりました。名前を呼んでも、目の前にいてもすぐに気が付かなくなりました。そっと触れるとようやく安心した表情を見せてくれます。ドライフード・オンリーのおかげで、歯はしっかりしています。それでも最近は高齢犬用の缶詰を1日2回に切り替えました。潔癖なサブが室内で粗相をするようになりました。トイレトレーニング中の子犬の頃のことを思い出します。また温かい春を一緒に迎えようね。

(2001年12月)
(2002年3月下旬)
今年は例年より春の訪れが早く、日中の短時間、日向ぼっこをしました。
この時にはまだひょっとして・・・という期待がありました。
それでも他の子にぶつかって倒れこみ、手を添えないと起きあがれないようになっていました。
2002年4月21日 両目ともに視力が全くなくなりました。聴力だけはわずかに効くようで、声をかけると反応します。
食欲だけは衰えず、匂いをたよりに一生懸命フードを探しています。
筋力の衰えは一段と進行しているようで、立っているのも難しくなりました。  
2002年5月 9日 永眠しました。
 サブ・・・ありがとう       
サブの一生を今振り返っています。子犬の頃からずっと私の背中を、声を、心の動きを、、、いつも全身で見つめていました。どんな時も正面に立つことは無く、いつも私の背中、背後にいました。私はサブと接することで、犬には霊感があると信じるようになりました。怖いほどに私の心理を読んでいました。イライラしている時は決してそばに寄らず、落ち込んだり悩んでいる時には手を顔を優しくなめてくれました。ある時こんなことがありました。奥様のお父さんが亡くなった時のことです。当時ハスキー仲間で、よく遊びに来てくれた友人がいました。入院していたお父さんの様態が急変したとの知らせをうけた私は、横浜の病院に急ぎました。私が到着した時にはすでにお父さんは亡くなっていました。午前11時48分でした。ちょうどその頃に友人が遊びに来てくれていました。サブは友人が一度ハスキーを連れてきていたことを目撃していて、それ以来友人の姿を見るたびに火がついたように吠えていました。ところがその日その時刻に目撃したサブは、ハウスの中でブルブルと震えていたそうです。友人も心配してそのことを留守録に入れてくれていました。私には全く霊感が無く、今まで一度も不思議な体験を経験したことがありませんでしたが、娘の住む清里に、お父さんが来ていたのでは?と、とっさにそう思いました。アリス、ジュリ、ジョイはいつもと変わらぬ様子だったそうです。そんな能力を持ち、警戒心の強いサブでしたが、群れの仲間には優しいリーダーでした。私が他の子を叱っている時には間に入ってかばうような行動をとりました。サブにとっての私はとても怖い存在で、叱られることに常に警戒し、とても嫌がっていましたが、そんな時、決まって間に入ってきました。リーダーとは決して力の強さだけではない、常に群れの一部始終に注意を払い、安全を確保し守っていかなければならない。私はサブからそのことを教わりました。そんなサブも12歳の誕生日を迎えた頃から、体力の衰えが日を追うごとに目立つようになりました。それでも必死に群れを守ろうと、侵入者(犬)に対しては威嚇の声をあげていました。動物社会のルールは厳しく、群れの中ではサブをリーダーとは認めない空気が漂いはじめました。リーダーから転落することはサブの気性ではかなりつらい出来事だったようです。その頃から穏やかな性格のジョイが侵入者に対して警戒するようになりました。すでにリーダーが入れ替わっていたのです。精神的に辛い状況に置かれたサブをフォローしようと、食事のOKサインの順番で調整しようとしましたが、それも限界がありました。しばらくすると、リーダーの座を降りたサブは気が楽になったのか、表情が穏やかになりました。私の姿が見えない時にはリーダーとして相当に神経を使っていたのでしょう。今思うとジョイの表情もこの頃から少し厳しくなっていたように思います。エネルギーの三分の一は脳で消費するそうです。犬が長生きするためにも、私達飼い主がしっかりリーダーでいることの重要性を実感しました。2001年11月、冬を目前に控える頃から緑内障で左目が見えなくなりました。右に右に旋回して歩くようになり、平衡感覚に支障をきたすようになり、犬舎のすぐ上のサンルームで寝起きさせるようにしました。パソ部屋とサッシで区切られていて、いつでも様子を確認できるエリアです。そして無事に新しい年を迎え、小康状態の日々がしばらく続きました。4月になり日中温かな日も多くなり、大好きだった散歩をせがむようになりました。しかしこの頃には右目も視力がほとんど無くなり、夜間でも灯りをつけておくようにしました。目が見えない不安からか、どこか痛むのか、時々唸り声をあげるようになりました。周りでは安楽死を勧める声もありましたが、弱ってしまった筋力で必死に立ちあがろうとするサブの生きようとする姿に、私はサブに対してその処置を選択することができませんでした。苦しむ姿を目の前にして、家族にとっても苦しく辛い日々が続きました。命の灯火が消えるまで、、摂理のままに共に身をゆだねる決断をしました。そして今日5月9日にサブは私達家族の心の中の住人になりました。旅立つ数日前からの苦しそうな姿のサブが、全盛期の元気で凛々しいリーダー・サブになりました。これからもずっと永遠に、思い出の中のサブはリーダー犬です。命の尊さ、命の力強さ、命のはかなさを、サブは私達に教えてくれました。現在、人間でもペットの医療の世界でも安楽死について議論が交わされていますが、私は最後まで与えられた命の炎が燃え尽きる日まで、決して人間が判断し終止符を打ってはいけないと考えます。この世に生を受けた瞬間から自然に命の灯火が消えるまでが自然界から与えられた権利、期間だと、サブの壮絶な最後に直面してそう感じました。

        これからも群れを見守ってください。  サブ・・・ありがとう!、、、
                                                 2002年5月9日